HISTORY

しのっぴのこれまで

どんな家に生まれて、何につまずき、どう立ち上がってきたのか。しゃべりで生きると決めた男の、これまでの話。

序章1997

15分で生まれた男

1997年8月16日、大阪・吹田。プラネタリウムで星を見ていた母が、突然産気づいた。病院に駆け込んで、わずか15分。せっかちな男の子が生まれた。

生まれたばかりのしのっぴ
生まれたばかりのしのっぴ
第1章0歳〜

ピアノが鳴りやまない家

育ったのは兵庫県芦屋市。母はピアニスト。家ではいつも、母のピアノと生徒たちのピアノが鳴っていた。

赤ん坊のころから、正直うんざりするほど聞かされた音。それがのちに、彼のしゃべりのリズムになる。言葉を「音」としてとらえる、聞いていて気持ちのいいテンポ。その源は、この家にあった。

第2章中学・高校

補欠の3年間

ポケモンとスマブラに夢中だった少年は、中学でタッチフットボール部に入る。体が細く、スタメンになれない。補欠のまま終わった3年間。

「高校では、絶対にスタメンを取る」

トレーニングと勉強を重ね、高校2年でスタメンを勝ち取る。アメフト専門誌『ハドルマガジン』の「ハイスクールスーパースター100」にも選ばれた。決めたら、やり切る。その性格は、この悔しさから生まれた。

アメフト部時代。補欠からスタメンへ
アメフト部時代。補欠からスタメンへ
第3章大学

人生最大のスベり

関西学院大学経済学部へ。ジャズサークルでトロンボーンを始めた。

学生時代から「面白いやつ」として通ってきた。しゃべりには自信があった。だから、ライブのMCを任されたときも、ウケると信じて疑わなかった。

ところが、結果は人生で初めての大スベり。ジャズのライブ特有の、静かで落ち着いた空気。初めて会うお客さんの心をつかむ、最初のひとこと。仲間内で笑いを取るのとは、まったく違う力が求められていた。

悔しかった。そこからの1年、吉本の芸人さんのラジオに出させてもらい、イベントMCの会社で現場に立ち、しゃべりを磨いた。1年後、同じステージでリベンジを果たす。今のしのっぴの原点は、あの大スベりにある。

ジャズサークルのライブのあと。手にはトロンボーン
ジャズサークルのライブのあと。手にはトロンボーン
ラジオに出させてもらい、しゃべりを磨いた日々
ラジオに出させてもらい、しゃべりを磨いた日々
第4章19歳

博多で気づいたこと

19歳。博多への一人旅で、ふと気づく。

「人生って、自由なんや」

自分がやりたいのは、しゃべること。明石家さんまさん、島田紳助さんのようなMCになりたい。夢がはっきりした瞬間だった。

第5章20代前半

筋トレでは、伸びなかった

夢のためには、まずお金がいる。ジムでのアルバイト経験をもとに、オンラインのパーソナルジムを開業した。その宣伝のために始めたのが、YouTubeとTikTokだった。

男性向けの筋トレ解説は、まったく伸びない。女性向けのダイエットの話に切り替えたとたん、テンポの良さと面白さが受けた。半年で、TikTokのフォロワーは13万人になった。

大学在学中の22歳で結婚。23歳で第一子が生まれる。

2020年、MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」にゲスト出演
2020年、MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」にゲスト出演
大学在学中の22歳で結婚
大学在学中の22歳で結婚
第6章迷いの時期

心が、ついてこなかった

企業案件、広告、コラボ。仕事は一気に増えた。でも、企業が求めるものと、自分がやりたいこと。そのずれが少しずつ心をすり減らしていく。そこで知ったのは、自分の心に従うことの大切さだった。

ダイエット、通販番組、オンラインボイトレ、地域活性化メディア、おもちゃのレンタル、出張耳かき屋さん、TikTokコンサル、コーチング、アボカドの話をする人。迷いながら、いくつものスタイルを試し続けた。

そしてたどり着いたのが、今のスタイル。「自分の心が動いた瞬間を話す」。

第7章2026

そして、いま

29歳、3児の父。システム開発、Web制作、SNS制作の3社で取締役を務めながら、毎日しゃべる。紹介したお店には、「動画を見て来ました」というお客さんが集まる。

2026年には、自主開催のトークライブ「しのっぴのおしゃべりナイト in 梅田」を始めた。

夢は、武道館のような大きな舞台で、大勢の前でトークライブをすること。

しのっぴにとって、しゃべるとは。

呼吸と同じ、自然なもの。

しのっぴ

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